2014年1月17日金曜日

福知山~篠山にサイクリング


お正月も終わり、ようやく仕事にもエンジンがかかってきました。

さすがに、冬季は自転車に乗る機会は少なくなりますが

先週の週末は、福知山から篠山までサイクリングをしました。


30年前と比べて、冬のウエアは本当に暖かくなりました。
ヒートテック、フリース、ダウン・・・
(何か、ユニクロの宣伝をしているみたいですが)

それでは、前回の続きをお話しします。
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【Point.7 賃貸借契約期間以上のキャッシュフローはあてにするな】

 成功する6番目のポイントは、賃貸借契約期間以上のキャッシュフローは、あてにしないことです。契約期間が2年なら2年のみ、5年なら5年のみのキャッシュフローだけを考えることです。特に借り入れをする場合には、契約期間が2年で、5年のローンを組むならまだ良いのですが、10年も20年もローンを組むような危険なことは絶対にやめて下さい。つまり、賃貸借契約期間とローンの借入期間は同じか、出来ることならローンの返済期間の方を短くしたいものです。
 バブルの頃はそういったことは考えなくても、途中撤退するテナントも少なかった上、撤退しても、すぐ次にテナントが入ってきました。長期ローンがあっても、リスクとは感じなかったはずです。
 しかし、もう時代が違うのです。リスクのあるものは、ひとつずつ回避すること。書類上の夢のような利益よりも、現実的な利益に目を向けることが成功する道です。
 長期ローンを組むときは、契約期間が長期であるテナントを選択するのです。「そんな10年以上の契約なんて聞いたことがない」とおっしゃる方も多いかもしれませんが、私が成約させたロードサイド店舗は、すべて15年以上の契約期間です。

 「ロードサイド店舗」は前章でもふれましたが、日本ではまだ歴史の浅い業態ですから、聞き慣れないことでしょう。ここで少し「ロードサイド店舗」について説明をしたいと思います。
 日本で初めてロードサイド店舗がオープンしたのは、1970年(昭和45年)7月のことです。東京都の郊外、府中市で「すかいらーく国立店」がオープンしました。これを契機に次々とロードサイド店舗が建てられ、急速にマーケットは拡大していきます。さらに、日本列島改造論ブームで、都市部の住宅地の郊外化が進み、それは20年後のバブルの崩壊まで拡大を続け、人々のライフスタイルをいやおうなしに変えていきました。
 それまでは、毎日の買い物といえば、主に専業主婦が近所の肉屋・魚屋・八百屋といった鉄道駅を中心にした商店街を利用し、たまの日曜日などには家族か母娘で都心のデパートへ出かけるというまさに「サザエさん」的な暮らしが中心でした。
 「すかいらーく国立店」がオープンした年を起点として、自家用自動車を持つ人々が大幅に増え、女性ドライバーも増えていきました。これはいわゆるマイカーブームと呼ばれるものですが、この頃から朝晩妻が駅に夫を車で送迎する姿が目につくようになってきました。夫を駅まで送った後、子どもたちを幼稚園などに送り、急いで帰って洗濯・掃除、また子どもを迎えに行ってそのまま買い物に・・・・。このように、主婦の生活から車が手放せなくなったのです。すると、自然と買い物は車で行けるところ、というのが常識になり、商店には駐車場が必要不可欠となりました。さらには働く女性も増え、週末にはまとめ買いをし、そのまま駐車場付きのレストランで夕食をとるといった風景も当たり前になっていきました。
 ロードサイド店舗(郊外型駐車場付き店舗)は、こうした住宅の郊外化とモータリゼーションの発達に後押しされる形で自然発生的に増え続け、1号店を開店したファミリーレストランでは10年間で300号店を出店するまでになりました。また、1974年に紳士服業界で初めてのロードサイド店舗を出店した「洋服の青山」は、それまでデパートか専門店で買うのが当たり前だった紳士服のマーケットを一挙に郊外型店舗の市場へと塗り替えてしまいました。
 一方、駅前の商店街は、このような大きな変化に気づかず、大型スーパーの出店を牽制するばかりだったのではないでしょうか。そして現在、お客さんが減って衰退しているところが多くなってしまったのだと思います。また、当時の大規模な郊外型住宅地(ニュータウン)の開発の際、商店も共につくられたのですが、少し配慮が足りなかったのでは、と思います。初めから一業種一店舗のような配給感覚で決められていたため、競争意識も薄く、後にロードサイド店に顧客が流れて行ってしまう原因にもなってしまいました。
 高度成長期と共に、自宅から車で10分程度の距離の範囲内にあるロードサイド店舗は増えつづけ、女性ドライバーに配慮した駐車場の出入りや、豪華ではないけれども清潔感のある店づくり、来店目的がはっきりとする品揃えを強みとして発展を続けました。バブル崩壊後の経済環境においては、低価格戦略や個性化戦略をいち早く取り入れ、業態そのものもカジュアル衣料から100円ショップ、古本店と時代に即した業態にすばやく変化していきました。
 たとえば、1970年代~1980年代に大きく発展したファミリーレストランは、当初はステーキやハンバーグといった、当時の家庭料理では珍しかった料理を提供していましたが、1985年に郊外型和食1号店を出したサトレストランシステムズ株式会社や、1984年に1号店を出店した回転寿司の「くら寿司」など和食系が後に続き、1990年以降は低価格や健康に配慮した店舗が出店を始めました。さらに2003年あたりから、同じ回転寿司でも一皿100円から700円までと高級化・個性化を追求した店づくりが盛んになっています。
 このように、業種・業態を時代に合わせて変化させることができる不動産は他に例を見ないので、ロードサイド店舗不動産のマーケットが常に活発に動いているのも当然ともいえます。しかし、「地域一番の繁盛店」を見るたびに思うのは、その地域で一番求められている店舗は、それほど簡単には業態は変わらない、というのが実感です。逆にいえば、その店舗は街の人々にとって最も必要とされる業態である、ともいえるでしょう。



 次回につづく・・・


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